ひと

蚕は裏切らない 新しい繭づくりにいどむ◇香取市 増田康治さん

ちば民報 2013.3.3

記者の実家は、かつては長野で蚕を飼育していた。春蚕(はるご)、夏蚕、そして秋蚕と続く。母は稲作と果実の生産の合間を縫って、貴重な現金収入となる蚕の成育に精を出し、お蚕様(おかいこさま)と最大級の敬語をつけて呼んでいた。幼い頃の夏は、線香花火の煙が蚕に悪い影響を及ぼすとのことで、花火遊びは許されなかった。いま養蚕は全国的にほとんど衰退した感があるが、そんななかで今回ご紹介するのは、優れた繭づくりにこだわり、いまも生産に励む香取市栗源町の増田康治さん(76歳)である。

増田康治さんの写真

国内自給率5%

増田さんが養蚕(ようさん)農家を継いだのは昭和40年のことで、最初は1箱から出荷した。かつてこの地域でも200軒くらいの養蚕農家があったが、今では増田さんも含めて3軒に減っている。中国やブラジルなど人件費が安い国から輸入される繭の価格が安いので、太刀打ちできないためだ。たとえば手元にある埼玉県の統計によれば、平成元年の1キログラムの年間平均買い入れ価格2500円から、平成19年が1813円と下がる傾向が続いている。これは純国産生糸の国内自給率が5%未満という現状でもわかる。増田さんはかつて62箱の繭を生産していたこともあったが、昨年は12箱になっている。

増田さんは、蚕作りの安定と優良繭の生産には飼育施設の充実が不可欠という考え方から、延べ500平方メートルの二階建て鉄筋蚕舎を自らの手で完成させた。桑園は180アールの経営規模で、桑についてもこだわりを持っている。優良桑を安定生産するには土は有機質にする。そのために、鶏ふん、豚ふんを10アール当たり3トンを淺溝に施与するほか、桑葉にも消毒薬は一切使わず、土にも燻蒸剤などは使わないという無農薬に徹している。それらの肥料は、近所の畜産農家と契約している。さらに「価格は高いが窒素が少なくて、リン酸とカリウムの多い肥料が大切だ」と土壌づくりにも力を入れる。

黄金色の繭も

そういう改善の工夫・努力の結果、1986年には養蚕経営改善の部で農林水産大臣賞を受賞した。他にも数々の表彰状やトロフィーがご自宅の居間にところ狭しと飾られている。そして15年前には全国で初めて、黄金色の繭を出荷することができた。それが成功したのは、長年培ってきた技術を生かして県内の蚕糸業をリードしてきたからだ。

農林水産大臣賞を受賞した記念に、皇居の紅葉山にある養蚕所を見学する機会に恵まれた。そこでは蚕棚が床からかなり高い位置にあって送風機を当てられるように工夫されていた。

これならば蚕に与える桑の葉にカビが生えたり、その影響で蚕が死ぬことがない。いままでの自分のやり方と違う飼育方法を見ることができ、さっそくご自身の蚕室も、同じ方法を取り入れて成功している。増田さんは良い物、方法はすぐ取り入れて試して見ることに積極的だ。

茨城県の笠間稲荷神社では毎年1月末に、100年以上「献穀献繭祭」(けんこくけんけんさい)が続けられている。この品評会でも上位に入賞してご自慢の繭が展示されている。お伺いしたときも「先日出してきたばかりだ」とうれしそうにお話されていた。「細くて長い糸が良い糸だ。手さえかければ蚕は裏切らない」と、自信に満ちた表情で増田さんは語った。

救難に使えないか

いまはどんな分野でも「差別化」が必要だ。2007年春、世界初、オスだけの繭から紡がれる、夢の生糸「プラチナボーイ」と呼ばれる繭が誕生した。それは、純国産の新蚕品種である。増田さんが仲間と手がけている繭だ。この繭を使った商品は「銀座もとじ」で販売されている。次の課題として「夜に光る繭はできないか」と研究していらっしゃるという。もしこれが成功すれば、救難作業にあたる仕事をしている部署で役に立つのではないかと考えている。

いまの悩みは後継者だ。娘さんは近くにいるが別の仕事をしている。「若いやる気がある人がいれば、一から手取り足取りで教えてあげられるのだが…」と語る。若い人たちが希望をもって農業を続けるためにも、TPPには反対していかなければと言う。

桑や繭の評判を聞きつけて、いろいろなところから話が舞い込んでくるという。その一つが桑の根から抽出した健康補助食品である。取材の帰り際に「コーヒーなどの飲み物に数滴垂らすだけで、お肌つやつやの効果がでるよ」とお土産に下さったが、まだ試してはいない。

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