ひと

自分にできることで◇被災地復興と反原発、そしてアート
かなはら えいじさん

ちば民報 2013.7.21

金原さんの事を知ったのは6月7日「デモクラTV/ウッチーのデモくらジオ」というインターネット有料放送を録音して聴いていた時のことだった。その週のゲストとして登場した「かなはらえいじ」さんは気鋭の現代アーティストとして活躍していらっしゃる。ご出身は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で、震災ボランティア経験も豊富である。震災の一週間後に生まれ故郷の仙台に帰って救援活動もなさっていた。そして福島第一原発の1号機から4号機が被災した状況をテーマにしたオブジェを作って画廊で展示をしていらした。

かなはら えいじさんのポートレート

母校が被災!?

待ち合わせに指定された場所は、松戸市内の某寺。その石段を登って境内に入り、「社務所の前に立ったら指定の携帯電話に電話せよ」ということだった。ちょっと不安で狐につままれたような気分になったが電話をすると、すぐ迎えに来て下さった。

アトリエは鉄工場の一角の2階だった。建物に入ると入り口の雨樋の真下には木製の板が渡してあった、「気をつけて下さい。ここはセシウムが濃縮してしまい、放射能管理区域になる1マイクロシーベルトもの高濃度のマイクロスポットなのです」とおっしゃったのには驚いた。2階の一角がアトリエで5ワットの裸電球が10個くらいぶら下がっていた。「たとえ10個使っても50Wでしょ。今はLED電球が話題になっているけど、こっちの方が安価で電気料金も遥かに安いのです」と実に論理的な説明である。

そもそも金原さんがなぜ被災地に向かったのか?それは出身高校が被災したのではと思い、いても立ってもいられなくなったからだ。被災直後の写真も沢山見せていただいた。近くには仙台空港もあり、押しつぶされるように家屋と重なった小型ビーチクラフト機もあった。

実家は幸い無事だった。何かできないかと近くのボランティアセンターに行った。出来る事は何か?資格は何か?と聞かれ登録した。自分が出来ることをジャンパーの胸に何色ものガムテープを張りしめした。そのジャンパーは今もその思い出を忘れないようにと保管してある。

ダンボール素材中心にした現代アート(かなはらさん提供)

ダンボール素材中心にした現代アート

まだ終わってない

まず名取北高校近くでがれきを撤去するボランティアに入った。体育館が壊れ空港ボールというボーリング場が遺体安置所になっていた。メディアは高速道路の海側しか被害がなかったと報道していた。しかし津波は高速道路を越え、山側も大きな被害だった。

残念なのは大手メディアは報道するために現地に足を運んでいなかったことだ。しかしフリージャーナリストは大勢来ていた。自分は数週間で帰って来たが、彼らは現在も現地に残って「まだ被災は終わっていない」と取材・発信している。

かなはらさんのご実家はフクイチから78kmくらいの場所にあった。しかしフクイチから80km以内には大手メディアは取材には来ていなかった。80km圏内にはアメリカ軍も入ることはできなかった。「ともだち作戦」で出動していた空母も放射線濃度が高いので、急に金華山沖まで進路を変更してしまった。それだけではなく、メディアも同じく「放射能に汚染されている地域」には取材に来なかった。残念でならなかった。

高校のある名取市は被災していなかった。そのため音楽ホールは被災者用に開放されていた。そのとなりの体育館は、日本中からボランティアに来た人たちの斡旋窓口になっていた。自分の家のがれきや汚泥を掻き出してもらいたいという人たちが大勢やってきていた。そのためボランティアの人たちを割り振るシステムが他の市よりも割と早くできあがっていた。

閖上は実家から車で5分程度で行けるので一番多く通っていた。大震災のあったあの日、都内にいてたまたまテレビを見ていたら、ヘリコプターの空撮で友人たちが大勢いる農家や、店が流されている風景が見えた。

そのときこれは現実なのか映画の特撮なのかわからない状態に陥った。空港や隣接する航空大学にも知り合いが多かった。すぐにでも救援や支援で現地に来たかったが、それはなかなかできなかった。最初は半月ボランティアで行っていた。しかし自分が撮影した膨大な資料を使いたいという友人の希望もあった。それで、住んでいる市川と現地とを行き来する機会が多く最終的に延べ40日間ほど通っていた。

現地の作業も最初の頃は汚泥掻きは「怪我をしないように」と午後3時には切り上げていた。そのボランティアが終わった3時半以降は自分の時間として、大量に写真を撮ることができた。津波誘導灯なども根こそぎ倒れていた。地震が起きて津波が来たら、もう誘導灯は何の役にも立たないということがわかった。

何よりも子どもを

かなはらさんは学生時代もいろいろな運動に関わって、ビラまきなどした経験をお持ちである。そして2年前の「野田退治デモ」以来復活し、首相官邸前抗議行動に続いている。1年ほど前は,国会前に子どもさんを連れたお母さん方の参加がとくに多かった。

自分が住んでいる東葛エリアは放射線量が高い。東葛地方の魚の汚染も心配である。京都大学の小出裕章さんも「まず線量を計ることからはじまる」と言っているのに、政府はそれすらきちんと行おうとしていない。東葛の食べ物も、宮城県の食べ物も線量を計らないで、福島の食べ物だけ心配している。こんな事でよいのだろうか?

自分はひねくれ者かも知れないが、「大人を救おう」とはこれっぽっちも思っていないという。歯医者さんの中にはポケットマネーで、「被災地の子どもの歯を救おう」と動いている人たちがいる。その人たちにつきそうこともやっている。

自分が仕事で作ったジングル(ラジオ番組などでコマーシャルの開始や終了、楽曲・コーナーの切り替わりなど、番組の節目に挿入される短い音楽などの総称)を提供して欲しいと言われれば提供する。「自腹を切って子どもたちを救うために動いている人たちに、今後も200%力をだすつもりです」と力強く語って下さった。

▼アーティスト金原英二さんのサイトはwww.geocities.jp/kanahara

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