ひと

人間へのいとおしさ◇切り絵作家 井出 文蔵さん

ちば民報 2013.8.4

記者が高校生まで過ごした小海線は終戦直後、無蓋車(貨物列車)に客を乗せていた。おそらく当時の国鉄は物資が不足して客車を作ることができず、貨車をやりくりして乗客を乗せて営業していたのだろう。その頃の小海線は、C56という戦争中の泰麺鉄道でも使われていたのと同じ機関車を使っていた。貨物列車の客のところには、煙や石炭殻が容赦なく飛び込んで来た。

井出 文蔵さんのポートレート

描く夢を捨てず

5月のある日、船橋市民ギャラリーで開かれていた船橋地域の絵画サークルの展示会を見に行った家族が、同じフロアで開かれていた井出文蔵さんの「銃後の女たちⅢ 帰り花 井出文蔵切り絵原画展」を見てきた。帰ってきた家族から「井出さんはあなたの高校の先輩らしいから見に行って来たら?」と言われ、すぐ鑑賞に出かけた。会場には戦争がテーマの切り絵が沢山展示されており、その一枚が最初に書いた無蓋車で運ばれている兵士たちの姿で、強烈に目に焼き付いた。

会場にいらした井出さんに取材をお願いしたら、快諾して下さった。井出さんは長野県立野沢北高校のご出身で、記者より8歳年上の先輩である。お生まれになったのは1936年、今は高原野菜で有名な信濃川上村である。この地域は冬になると、かなり冷え込んで列車が運休になってしまう事が多々ある。そのため川上村の高校生たちは、野沢町(現佐久市)に下宿して高校に通っていた。記者の同級生にもそういう境遇の友人がいたが、井出さんも同じだった。

井出さんは幼い頃から絵を描くのが好きで、その腕前は高校時代の恩師からも認められていた。そのため実家の農業を継ぐより、進学するように進言される。そして地元信州大学を受験し見事合格する。ところが親戚一同の集まりで、「絵で食っていくことなど出来ないから、やめて家業を手伝え」と進学を引き留められ、地元の郵便局に勤務することになる。

しかし絵を描くという夢を捨てられず、4年勤務した郵便局を退職して上京する。新聞配達をしながらデッサンの勉強を始めた。そのうちに教科書のカットを描く仕事が入り、4、5年ほど生活していた。その後デザイン会社に入社して、本の表紙の装丁を10年ほど続けて、嘱託になった。それからは晴れて自由に時間がとれた。取材をして絵を描くことができるようになった。

「民話研究・採集の会」に入り、全国各地を採訪したのをきっかけに絵本を描くようになった。切り絵との出会いは滝平二郎さんの絵だ。直接師事した訳ではないが、ある著書の巻末に簡単な切り絵の作り方が出ていて、自分でその技法を習得した。その頃から中央公論、新潮社、角川書店などの出版社から、次々と挿絵の注文を受けるようになった。

戦争の風景残す

「銃後の女たち」三部作の本表紙絵

「銃後の女たち」三部作

民話を聞き歩いていたあるとき、福島県会津で民生委員をしている方から戦争の話をお聞きした。常日頃戦争はイヤだという気持ちは持っていた。しかし住んでいたのは川上村なので戦争中もアメリカの飛行機が来たわけではない。ただ東京から疎開してきた人がいたくらいだった。だから自分で戦争をテーマに話を作るのは無理だと思っていた。福島で「戦争体験」を聞いたことが、恋人や夫を戦争に出して、銃後を守る女たちを描く出発点になる。

近代の戦争は従軍している兵士だけではなく、銃後を守っている留守家族たちに、容赦のない過酷な生活を強制したのである。井出さんご自身は国民学校に入学したばかりだったが、村の出征兵士を日の丸の小旗を持って送りにいったり、白木の棺で帰って来た遺骨を迎えた経験はお持ちだった。それが「戦争はイヤだ。何とか悲惨だった状況を残しておかなければ」という気持ちにつながった。

「銃後の女たち―帰り花」を拝見すると、終戦直後の風景が多く表現されている。列車でいずこかへと送られる兵士、 興安丸(こうあんまる) という引き揚げ船、極楽王土という政府の宣伝に騙されて満蒙開拓団として今の中国東北部へと送られた人たちの、着の身着のままで引き揚げる風景。祖父を囲んでラジオ放送に聞き入る風景もある。当時のNHKラジオには「復員だより」とか「尋ね人の時間」という番組があった。出征した息子がいつ引き揚げて来るのだろうと、一家の人々は聞き耳を立てていたに違いない。そして 興安丸で引き揚げてくる夫や親戚を迎えにいくため、舞鶴行きの列車に乗っている風景。彼らは放送では肉親の帰国が確かめられなかったから、菊池章子の「岸壁の母」のようにひたすら帰国を待ちわびたのだ。

記者にも、当時シベリアから引き揚げて来た、近所に住んでいた叔父を最寄りの駅まで出迎えに行った記憶がある。ゲートルを巻いた軍隊の服装で、ツギのあたったリュック一つだけを背負っていた。戦争はかけがえのない愛する人を引き離し、こころに深い傷を残す。

先の衆議院選挙の中で、尖閣を初めとした領土問題をことさらに叫び、徴兵制度や軍事裁判の復活、「従軍慰安婦は必要悪」などと唱える政治家が跋扈し始めた。井出さんの作品を拝見していると、「戦争反対」の声高なメッセージではなく、人間への限りないいとおしさを通じた願いが感じ取れる。

井出さんの作品は出版物の他、船橋勤労市民センターホールの緞帳、船橋市・海老川十二橋欄干のレリーフともなっている。

▼「銃後の女たち」三部作は文・切り絵・井出文蔵 出版社は櫟(いちい)。

▼井出文蔵さんのサイト「ギャラリーBUNBUN」 http://www.or2.fiberbit.net/bunzo/saito/gyarariBUNBUN.html

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