ちば民報レポート

保健室の子どもたち 3 決して風化させない

養護教諭サークル◇中学校 あまちゃん

  ちば民報 2013.10.20

ますますヒートアップするオリンピックの話題。巨額な予算と立派な競技場や宿泊施設…。そんな華やかな予想図を見るにつけ、東日本大震災の被災地のことを思わずにはいられない。そして、あの時の福島の子ども達のことを…。

震災の年の4月、数人の福島の生徒が私の勤務する中学校に転入してきた。近くにある都立のスポーツ施設に避難してきた子ども達だ。そこは、親と一緒の避難生活ができない子どもを受け入れていた。小学生から高校生までが親元を離れ、都の教職員が宿泊しながら保護者の代わりを務めていた。

家庭の事情は様々だった。仕事の関係で地元を離れられない父親。小さい子を抱えた母親は別の施設。子どもだけでも安全な場所へと希望したケース。どの家庭も、子どもの健康を心配しての、やむにやまれぬ決断だった。

学校全体はとてもあたたかい雰囲気で、クラスの中へ自然に入っているようにみえた。が、転入後まもなく、子ども達は、保健室に次々に顔を見せるようになった。「頭が痛い」「眠れない」「気持ちが悪い」と。不眠の原因も「小学生がうるさくて眠れない」「高校生と一緒の部屋だと気を使って疲れる」と様ざまだった。

思春期の子ども達の不安やストレスは24時間の集団生活で悲鳴を上げていた。からだ全体で訴えていたのだ。その後も、施設での食事や生活のこと、友達のこと…、毎日、様ざまな話をしてくれた。施設でも学校でも、私たちが最も大事にしたことは、子ども達に寄り添いながらじっくり耳を傾けることだった。ただ、目の前の小さな問題には、何とか対応し改善することができる。でも根っこのところの要因は解決できるものではなく、歯がゆい思いをする毎日だった。

それでも、子ども達は新しい生活に少しずつ慣れてきた。以前の学校で不登校だった3年生のA子さんは、「勇気をだして、やっと保健室登校した日が3月11日だったんです」と。A子さんは、新しい地で、新たな気持ちでの保健室登校を始めた。2年生には2人の男の子がいた。「先生、この学校の運動場狭いよ。福島では、この10倍はあるよ」といつも自慢げに話す。走るのが得意な2人は、運動会での活躍をきっかけにすっかりクラスに溶け込んだ。やんちゃな素顔を見せ、校庭でサッカーボールを追いかける姿は生きいきとしていた。一人ひとりが、居場所を見つけ、いつの間にか保健室での訴えは少なくなった。やがて、施設は閉鎖となり、子どもたちは都内や福島の家族のもとに帰って行った。生徒も教師も忘れられない9か月間となった。

この子ども達を含めて、今なお、多くの人たちが避難生活を余儀なくされている。「家族一緒に生活したい」「学校に戻りたい」―子ども達の切実な願いだ。その願いに応えるためにも、決して被災地をを風化させてはいけない。

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