ちば民報レポート

保健室の子どもたち 7 再び「命の授業」

養護教諭サークル中学校◇中学校 あまちゃん

  ちば民報 2014.1.26

もうすぐ、3年目の3・11を迎える。あの時、体育館には全校生徒が集まっていた。「命の授業」の真っ最中だった。

講師は、元中学校の体育の先生。運動中の事故による障害から、「一生、寝たきり」と宣告され、自殺未遂までしたが、 家族や生徒の支えで復帰した。自らの経験を通して「命の大切さ・尊さをできるだけ多くの人に伝えたい」「いじめや自殺を減らしたい」と、全国の学校を駆けめぐっていた。忙しい方だったので、一年がかりの計画でようやく実現した。

懸命な語りかけに子ども達も真剣に聴き集中していた。そして、14時46分。大きな揺れが起こった。顔が蒼白になっていく子、泣き出す子、いつもはやんちゃをしている男の子が大きな体を震わせていた。背中を抱き、落ちつかせながら、体育館の床に這いつくばるようにして揺れがおさまるのを待った。

その日、子どもたちを安全に帰宅させ、講師の先生方の宿泊先を確保したあと、翌日の朝までは、戦場のような忙しさとなった。体育館は、地域の避難所となり、約百人の方々が配付された毛布一枚で夜を過ごした。

その後、「あの授業の続きを聞きたかった」「もう一度、やってほしい」。子どもたちは、この日のことを「命の授業」とともに鮮明に覚えていた。徐々に知ることになった被災地の状況や自らの経験、そして未消化になっていた授業のこと…。そんな出来事が混じり合い混沌としていたのかもしれない。

1年後、その思いを受けとめる形で、「命の授業」は、「震災と命を考える」のタイトルで復活した。宮城県の東北福祉大学から数見隆生先生を迎えた。氏は、4月3日から半年間かけて50数校もの被災した学校を直接視察し調査をした。教え子が亡くなった学校もあった。見て回った実情を話していただいた。

津波で体育館の中が大きな洗濯機のように渦を巻き、体育用具がグルグル回っていた。誘導と手当をしていて逃げ遅れた養護教諭は、浮いていたマットと舞台の幕にしがみつき、かろうじて渦から脱出したと言う。学校近くに流れ着き意識を失っていた男性を発見した五人の中学生が、人工呼吸や自分達の体温で体を温め、救助した話。中学生の機転で、地域のお年寄りや小学生が高台に一緒に逃げて助かった話。救われた命の事例とともに失われていった命の話もあった。年齢別では、お年寄りが6割を超える大多数であったことなど。子どもたちは、震災の事実を通して「いのち」の重みを考えた。そして、被災地の子どもたちが、悲しみを乗り越えながら過ごしている様子を聞くこともできた。

最後に、震災は決して被災地だけの「私災」ではなく、今後どこに起こるかもしれない「公災」であり、日本中のすべての人が考えなければならない課題だ。 このメッセージで「命の授業」は終わった。

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