風物

信仰は時代を超えて 富津市数馬・岩屋堂

(ちば民報 2012.12.2)

仁王像の浮き彫り

「続房総の石仏百選」(たけしま出版)に選ばれている「磨崖仏ーー富津市数馬・岩谷堂」には、洞窟の中に無数の仏像が浮彫されている、というので訪ねてみました。これには、市教育委員会生涯学習課の小沢洋文化係長が案内してくださり、説明もしていただきました。

案内されたのは天羽地区の数馬と湊の境界近く、国道465号線沿いに南面する崖の所。現地には、「大悲山・岩谷観音堂やぐら群(洞窟)」という新しい石碑が建っていました。資料によれば、「江戸時代に彫出したものが多い」とされていましたが、なんとこの洞窟は古墳時代の横穴墓だったのです。房総にはこの横穴墓が多く確認され、数では富津市が一番多いのです。それが時代を経て再利用され、重層的に造られた「やぐら」群となりました。「やぐら」とは、鎌倉時代に流行して造られた武士の墓であることを、小沢さんから初めて聞かされました。

洞窟の壁面に多数の磨崖仏や五輪塔が浮彫・線彫されたのは、中世から江戸時代にかけて。一巡すれば全国の霊場を巡礼したと同等のご利益があるといわれ、岩谷堂は湊川流域における庶民信仰の中心地となりました。

横に並んだ仏様の彫像

急な石段を登って、第2窟の中に入ってみました。入口には強力ライトも用意され、見学者の便が図られています。泥砂岩質の回廊内は、岩谷堂(第1窟)を挟んでコ字形となっており、高さ1・8㍍、幅約1㍍、奥行約7㍍あります。その左右の入口には、仁王像が浮彫されていました。砂岩のためか、彫るのは容易だったと思われましたが、逆に風化が激しく今にも消えそうな像が何体もありました。ここには14窟まであるそうですが、見学できるのは第2窟~6窟まで。第1窟は観音堂の奥にあり、奥壁に阿弥陀如来座像や観音菩薩等が線刻されているようでしたが、今は未公開だそうです。この観音堂には又、縄文時代の巨大な石棒も祀られているとのことです。

石碑には、昨年12月に観音堂の改修と周辺の整備を数馬区の住民がおこなったと記されていましたが、砂岩質の磨崖仏を維持・管理することは並大抵のことではなく、その苦労が偲ばれました。なお窟外には、寛文10年(1670年)銘の庚申塔、元禄7年(1694)銘の金剛界大日立像や、宝永7年(1710年)銘の三界万霊塔などが置かれていました。

▼岩谷堂やぐら群の所在地は、富津市数馬268―3。
問合せは、富津市教育委員会生涯学習課・電話0439(80)1342

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