風物

蘇る縄文人の生活=国史跡 加曽利貝塚

(ちば民報 2013.2.3)

復元された竪穴住居

貝塚は全国で約2300カ所が発見され、うち700カ所が県内。千葉県は貝塚の宝庫と言って良いでしょう。なかでも加曽利貝塚は全国最大規模のものです。加曽利貝塚博物館学芸員の森本剛さんに案内をして頂きました。

ここは全国的な観点で縄文時代そのものを広く学ぶことが出来る博物館、貝層の断面や住居跡などが見られる野外施設がつくられ、また復元された竪穴住居などもあります。

縄文時代は1万2千年前から2千3百年前までといわれ、加曽利貝塚に縄文人が住み始めたのは今から約7千年前の事でした。巨大な貝塚ができたのは、今から約4千5百年前の縄文中期だったと言います。

ここの貝塚は、まず北に貝塚が作られ、後期になると南に貝塚が作られました。北貝塚は、直径130mでドーナツ形、後期の南貝塚は、長径170mの馬蹄形をしています。

当時の住居・ムラの跡も発掘されていますが、二つの貝塚の中央(or真ん中)には住居の跡はありません。その理由は明確にはわかりませんが、共有のスペースとして広場になっていたのではないかと推測されています。

集落の周囲には林がありましたが、ややまばらな林となっていたようです。農耕が始まる前の食糧として重要だったのは、貝や魚などの海産物や狩猟で捕えた動物のほか、栗やどんぐり、ヤマイモなどでした。

縄文時代の初め頃は、温暖化による海進で、一時は房総半島全体が島に近い状態だったようです。かなり内陸部でも貝塚が発見され、また印旛から我孫子方面は外海とつながっていたことが分かっています。貝塚で発見された貝を分析し、生育環境を調べると当時の地形もわかります。

この加曽利貝塚では、出土した貝の80%がイボキサゴというナガラミに似た巻貝だそうです。展示されている実物の地面の断面を見ても、この貝層が相当に厚くなっています。

最近では、南方諸島でしか採取できない貝のアクセサリーや、大陸のシベリア産の黒曜石が日本国内の遺跡で発見されることなどから、当時から既にかなり広域的な物資の流通があったたことが判明しています。

出土する人骨の状態を研究すると、縄文人は一般には40歳程度の寿命で、乳幼児死亡率も4割以上に及んでいたことがわかるそうです。

この時代の土器に見られる独特の縄文は呪術的な意味のみであったのか、持ち上げる時の滑り止めの役目があったのかなど、まだ明確に断定できていないということです。

ここは国史跡に指定され、縄文時代の様子をダイナミックに見学できます。文化と生活のありようを知ることができる貴重な施設だと思いました。

また、博物館友の会では講演会や見学会など、幅広い活動を行っています。

▼加曽利貝塚博物館 モノレール桜木より歩15分
http://www.chiba.chiba.jp/edl/kasorikaiduka
休館・月と祝、(月曜日が祝日の場合は翌日も)

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