風物

勝浦・黒汐資料館◇漁業史みがき出す

ちば民報 2014.2.2

矢代嘉洋さんの写真

私設の黒汐資料館(矢代嘉衛門館長)はJR勝浦駅より徒歩8分、国道128号線沿いの串浜海水浴場前にある宿「臨海荘」のはなれにあります。資料館には、漁村の生活が大きく変わって古いものが次々に捨てられていくのを見て、初代館長である矢代嘉春さんが、半生をかけて収集した約3千点を展示しています。資料館の設立は1973年10月。いまの館長は嘉春さんの息子の嘉衛門さんで、案内してくれたのは弟の嘉洋さん(71歳)です。

現在の資料館は、嘉春さんが亡くなった後、資料整理のために建てられたもの。それまでは、臨海荘の随所に展示されていたようです。館内は「矢代嘉春著作」「民具」「網元」「万祝」「漁民用具」「漁村信仰」「日本の鯨」などコーナー別に3千点の一部が展示されていました。著作コーナーには「日本捕鯨文化史」など数点の本と、「くろしお文化」という資料館報(年1~2回発行)が10冊並べられていました。嘉洋さんによると、「おやじのライフワークは捕鯨だった」「ほとんど学者みたいだった」とのこと。調査のため、日本中を歩き、行く先々で収集したものを持ってくるので、「家族は大変だった」ともらします。

「くろしお文化」には、「どんな動機で漁具などを集めたか」との質問があり、「そこに海があるからであろうか。海があっても漁業がなくなってしまうからと言えばわかって貰えるだろうか」と書かれています。そして、「化学産業という戦後の侵略者」が日本の歴史を奪っており、「日本の漁業はその先端に立たされたいけにえである」とし、「真黒にこびりついた油をぬぐって我等が漁業史をみがき出そう」と、その熱い真情を語っていたのでありました。

全国から収集した貴重な漁具がたくさん

捕鯨といえば、記者も千葉県で唯一残っている和田漁港の「外房捕鯨㈱」を訪れたことがあります。捕鯨基地は、江戸時代には全国で30ヵ所ありましたが、今は南房総市(旧和田町)の和田漁港と北海道網走、宮城県鮎川、和歌山県太地の4ヵ所だけとなりました。沿岸小型捕鯨船は戦後、全国で83隻ありましたが、88年には9隻に。もっとも、この20年間に運航しているのは5隻で、4隻は権利を残しているだけとなりました。

資料館に展示されている、鯨を祀っている「鯨塚」も、白浜町内の乙浜まで訪ねたことがあります。そこは東海漁業(69年廃業)の捕鯨基地の跡地で、現在は公園になった所にある小さな塚です。大正5年建立で、鯨の供養と海上の安全・大漁祈願を目的に建立されました。こうした鯨塚は、房総の海辺のあちこちに建立されていますが、今では探すだけでも容易ではありません。

海を望む庭には日本一といわれる大甕がある

取材の当日には、「愛しき鯨玩具たち」の特別展が開催されていました。これは、資料館の研究員の松浦信也氏が集めた、全国各地の貴重な鯨玩具を、「黒汐資料館開設40周年記念特別展」として展示されていたものです。

嘉洋さんに、屋外に展示されている資料も案内してもらいました。すると、臨海荘の海側には人の背丈ほどもある日本一の大甕(かめ)、臨海荘正面入口の横には錆ついて今にも朽ち果てそうな巨大な錨が並べられていました。また国道沿いには、九十九里最大の和船「あぐり」の水押(船首部分)を中心に、石造りで和船の形が作られていました。さらに、お稲荷さんの神社(波の伊八の彫刻がある)をそのまま運んで展示もされていました。

それぞれ由緒正しい謂われがあるもので、これらの重量物を運送するだけでも大変な労力を要したことがうかがえました。それと同時に、初代館長嘉春さんの情熱の迸りを感じずにはいられませんでした。

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