風物

浮世絵が描くもの◇千葉市美術館

ちば民報 2014.3.2

かつての梅屋敷で満開の梅の花見に興ずる様子が描かれている

池波正太郎の「鬼平犯科帳」『迷路』で玉村の弥吉が三囲神社で法妙寺の九十郎と出会うシーンがあり、「歩むうち,弥吉は,いつの間にか三囲稲荷社の前へさしかかった」と書いてある。現代に住む私たちは隅田川の堤の道から一段下ったところにある、三囲神社を見るしかないのだが、千葉市美術館で開催されている「浮世絵展」をじっくり見ると、当時の田圃の中のこんもりとした森が三囲神社として描かれている。同様に江戸時代はお大尽たちの別荘地だった梅屋敷は、洪水で海水が入って梅はすべて枯れた。しかし、浮世絵には梅の花が咲き乱れている様子がしっかりと描かれている。

江戸時代には二大悪所という場所があった。一つは芝居小屋でもう一つは遊郭である。浮世絵にはその二大悪所を代表する歌舞伎役者たち、遊女たちがそれぞれ克明に描かれている。浮世絵と言うと菱川師宣の「見返り美人」のような美人画をイメージしがちだが、この展示を見ると、活き活きとした人々の生活する姿が見えてくる。

鳥居清長の「美南見十二候 九月」には格子窓を通して房総半島の船の漁り火も描き込まれている。また、品川の遊女が描かれているが、彼女たちは房総なまりの者が多かったので、房総出身の女性だったとも想像できる。

いきいきと描かれた歌舞伎役者の大きい絵を見入る鑑賞者

幕府公認の吉原に対して品川の遊郭は美南見(みなみ)と呼ばれ栄えていた。それは吉原から見て南にあるからそう呼ばれていた。さらに吉原の客が奪われないように、美南見では三味線は店に一竿という規制があった。しかし絵を見ると幾竿もの三味線を弾いている姿が描かれているので、お達しは建前だった事がわかる。

遊女ばかりではなく、芸者も多く浮世絵のモチーフとなっている。江戸の芸者は、地域によってファッションや習慣に違いがあったと言われる。一つは柳橋に近い橘町芸者で三味線が出来る訳でもなく、見た目がよければ芸者として通用したようだ。一番有名なのは隅田川東岸(現在の門前仲町あたり)の辰巳芸者で、渋い色調の留め袖着物に、黒襟などをつけ、外出には上げ底の駒下駄という姿が描かれている。このように宴席では羽織を着て「粋」を売り物にし、吉原とは違うという事を示す姿が「墨堤二美人逍遙画」として展示されている。

この展示を見ると、江戸時代の人々が時代の移ろいとともに、どのようなファッションに興味を持っていたかもうかがい知る事ができる。江戸時代の風俗を、吉原、盛り場、江戸娘、歌舞伎などをテーマに取り上げ、六大絵師など浮世絵約270点が描き出す。

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