ちば民報特別レポート

松戸自主夜間中学「学びたい! もっと!!」

ちば民報 2013.5.26

学ぶ機会を

夜間中学で学ぶ人たち、大きなテーブルに向き合って座り思い思いに学習しています。

「こんばんは」、「今晩は」。明るい声が響いて高校の制服を着た人、普段着の人、勤め帰りの人、いろいろなスタイルの人たちが集まってきました。松戸市勤労会館で毎週火曜と金曜に開講している松戸自主夜間中学の皆さんです。まずは「松戸市に夜間中学校をつくる市民の会」の代表藤田恭平さんにお話を聞きました。

―自主夜間中学ができた経緯は?

藤田 松戸市の自主夜間中学は1983年から始まり、今年でちょうど創立30周年です。当時の40歳から60歳代という人たちには、戦中から戦後の貧困と混乱などで中学で学ぶ機会を失っていた人がたくさんいました。

「市民の会」が東京の夜間中学で調べると、松戸からも毎年10人前後通っていました。そこで公立で夜間中学を作って欲しいと、当時の宮間満寿雄市長にかけあったところ、「前向きに検討したい。詳しくは教育委員会と話し合って」ということでした。しかし教育委員会は、「検討したいから時間を貸して欲しい」というばかりでした。

一方、「市民の会」が自主夜間中学を行うということが新聞に載ると、3人から「ぜひ入学させて欲しい」と声が寄せられました。私たちは「これは氷山の一角」と話しあい、やむにやまれぬ気持ちで自主夜間中学を発足させました。

―授業はどんなふうに?

藤田 今は体育以外一通りやっています。夕方の6時から7時15分が1時限目、7時20分から8時35分が2時限目、つづけて8時55分まで帰りの会ということで、一斉授業、個別授業、自主学習を組み合わせています。

スタッフ(先生)は必ずしも教師でなくても、中学の勉強を教えられさえすればいいのです。開校当初は6人の生徒にスタッフは13人でしたが、今は4部屋でやるほど生徒の数も増えています。スタッフも現役の会社員から、退職教員、学習塾講師、主婦など様々です。いつもピンチになったら市民の皆さんに助けてもらっています。

かつては生徒も不登校の中学生や、高校中退した子がたくさん来てフリースペースのようになったこともありました。中国残留孤児と2世、あるいはそれに伴い来日した中国人、タイ、フィリピン、ベトナムなど外国籍の方も多かったこともあります。それで、中国語がわかるスタッフも募集して来ていただいたりしました。最近は外国籍の方が昼は公立中学に通いつつ、夜ここにくるケースもあります。

「文字を知らないまま死にたくなかった」とある在日朝鮮人の高齢者が言ったことがあります。ここでは必要なら小学校の勉強からします。

イラスト・山口清美作 上段に年配の男女の笑顔と光をイメージした丸のまわりを、黙々一人で学習している姿、テーブルを囲んでデスカッションしているところや、向き合って相談しながら学習している姿が描き込まれています。

運営は授業料をとりません。30数人のスタッフもすべてボランティアです。ただ会場費はかかりますから、資金は200人の会員の会費(年間1500円)と、フリーマーケットなどの売上げ、カンパでまかなっています。行政にたいしては運営資金の援助は求めず、ただ「夜間中学を公立で作って欲しい」との要求だけです。公立ではありませんので就学年限はありません。そして卒業証書も出せません。

生きいきと学習

授業を見せていただきました。生徒1人につきスタッフ1人が基本でした。黙々と学習課題に取り組む子どもたち、スタッフと談笑する高校生、子どもと一緒に学ぶ外国人のお母さんもいます。年齢も関係なくここに「居場所」があるからと来ている青年たち、それぞれが実に生き生きと学習している姿に心打たれます。「学びたい!もっと!!」というメッセージがその姿から伝わってきます。

一通り見せていただいた頃、全員が集まり一斉授業の時間になりました。今日のテーマは、「憲法記念日の集い」の講師、田中優子さんについてです。A4で17枚にも及ぶ資料がみんなに配布され、スタッフが誰にもわかりやすく丁寧に教え、みんなもそれぞれ真剣に聞いています。

学校とは何か

「何か質問はありませんか?」……その後繰り広げられた情景は、38年間公立学校の教員だった私に、「いったい私は今まで何をしてきたんだろう」との思いとともに、「学校・教育」とはいったい何か、一つの回答の一端がここに見えた気がしました。

最後に、『松戸自主夜間中学校 二五周年記念誌』から引用します。

松戸自主夜中の25年

         藤田 恭平

鉛筆一本、紙一枚あれば
勉強はできます
学びたい一心の生徒がいて
教えることをいとわぬ教師がいる限り
そこで勉強は成り立ちます
25年続いてきた松戸自主夜中は
そんな学びの場なのです

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