ちば民報レポート

保健室の子どもたち17 保健室に来る訳

◇養護教諭サークル 中学校 湯ばぁば

  ちば民報 2014.11.16

10月の終わりに、昔の同僚でずっと親しくしている友人と草津の温泉めぐりをした。熱い湯の中で疲れた身体と心を癒し、帰りは、小諸をまわり島崎藤村記念館、小山敬三美術館に寄り豊かな気持ちになった。草津から小諸に行く車中で、盲目のテノール歌手で沖縄出身の新垣勉「さとうきび畑」を聞いた。私たちが感動を共有した以前のコンサートの話で盛り上がる。紅葉した木々の紅、橙、黄色の中を走り、まるで幻想の世界で語り合った気がした。

新垣さんは、米軍兵を父に持つ。祖母に育てられ、両親を恨んで自殺まではかった。そのときに出会った牧師さんが、その声は親からもらった声だと言ってくれ、米軍の父のことを思ったとトークしていた。

「知らないはずの 父の手に抱かれた夢を見る 夏の陽ざしの中で ざわわざわわざわわ…」。その歌詞のところにくると泣いてしまう。これって、戦争の犠牲の話だよね。今もある。そうそう。米軍に暴行されたことも。

私は、この歌と重なって、かつての学校の子ども庸君(仮名)のことを思い出す。

庸は、私が着任したとき4年生。からだは他の子よりひとまわり大きく、日本人の間の子どもではないことはすぐ理解できた。日本語はあまり理解できていなく、授業についていくことができなかった。教室にいてもつまらないので、保健室に来ることが多い。

前年まで日本語指導の先生が来ていたというのに、打ち切られてしまっていたこともわかった。再度申請していただくことを働きかけることから、庸とのかかわりがはじまった。

庸は、いろいろなことをしゃべった。

―僕は1年生のときに転校してきた。前は別のお父さんがいた。そのお父さんは暴力をふるった。だからお母さんと僕は逃げてきた。新しいお父さんとお母さんの間に僕の弟が生まれた。かわいいよ。

5年生になった庸は、思春期の前期を迎え、汗のにおいも大人に近づいて、友達からくさいと言われ嫌われていた。お風呂にもあまり入っていないこともわかった。

庸は宿泊行事のとき、着替えを持ってきていなかった。「大丈夫だよ。お母さん先生は、洗濯もしてあげるよ。明日乾くといいね」。庸と私の仲良しはもっと深まった。6年生のときの農山村留学の前日は、荷物を一緒に確かめようねと誘って、着替えが入っているかを確認した。

庸は保健委員会で、全校児童にラジオ体操を教えるリーダーになった。リズム感とからだの動きはたいしたものだ。卒業式のお別れの歌のソロを歌った。その声は父からもらった声ではないかと思える素晴らしい声だった。

「家族の中で僕だけが苗字がちがうんだよ。僕も同じになりたいよ」庸の悲しい訴えが忘れられない。

保健室に来る子どもたちの背景に迫る対応が必要なのだとつくづく思う。

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