ちば民報レポート

保健室の子どもたち23 伴走とケアこそ

◇養護教諭サークル

  ちば民報 2015.5.24

私の孫は、2年生と3歳。2年生になった孫は、宿題の音読をよくきかせてくれた。

くまさん まどみちお
はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやりかんがえた
 …中略…
えーと ぼくはだれだったっけ
 …中略…
みずにうつった いいかおみて
そうだ ぼくはくまだった
よかったなあ


「おばあちゃん、この詩のどこが好き?」「そうだ ぼくはくまだった よかったなあのところだよ~!」と大きな声で言う。

当時3年生の妙ちゃん(仮名)は、どうしているだろう。「そうだ わたしは妙だった よかったなあ」と言える幸せ感、自己肯定感をもつことができただろうか。

妙に向き合うようになり、ケース会議(児童相談所や学校が関係者と話し合う)を何度も開催した。

しかし、私が在職中には、妙の持つ悲しみ・心配・不安は解決するに至らなかった。

妙は、「ママは、うつという病気なの。パパもこのごろ変なんだよ。ご飯の支度をしていて、突然フライパンを投げたりする。大声を出す。こわい!」

「おばあちゃんとおじいちゃんは大好きだよ。でもなぜか2人は、別々の家に住んでいるんだ」「おじいちゃんのところに泊まりに行くよ。でもね、行くときはいいけれど、夜になるといやだよ。あのね。お布団に一緒に寝るの。そしたら、あることがおこるの。言えないよ」

妙の家族の闇の問題と、性的虐待をにおわすもの。この中で幼い妙は生きてきた。妙は、明るく活発に振舞うことはできなくなっていた。「頭の中が暴走するよ。教室にいくと煩しくて、頭ががんがんする。保健室に入らせて」

妙はいま思春期を生きている。自己肯定感を得て、困難を希望に変えていくには、周りの大人の支援、伴走、ケアが必要だ。そんな大人にめぐり合っていてほしいと願う。

5月5日、仙台で「戦後七十年 いのち 平和 保健室のいま」をテーマに、「保健室」誌発行30周年記念企画の座談会をした。元養護教諭、現役養護教諭、大学教授、編集部の九人だ。山形の先生は、「家庭訪問で母親の畑仕事をしているところにいぐとよ、泣いて話すんだよ。父ちゃんでがせぎに行ってだよ…」と話す。

現職養護教諭は、「母は再婚。子どもは、給食費が払えないからと給食を食べないで4時限の授業が終わると帰宅する。新しい父に給食費を払ってほしいと言わなくてすむから」。生活保護の申請ができないなか、いまの貧困を生きる子どもたちの現状を語った。

戦後70年、子どもたちには、生活環境の変化の中で心身症、不登校、虐待、非行、暴力、アレルギー等々、からだと心の変化、ゆがみがでてきたことを各地の先生方とともに再確認した。

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