県議会ウオッチング

顔向けできるのか

ちば民報 2013.11

「知事も『汚染水は完全にブロックされている』との認識か」と問われ、「国が前面に出て対策を実行する」。これは答弁といえるのか?「社会保障のためとの大義は崩れ、税収も減少、それでも知事は消費税増税を推奨するのか」「国は社会保障の財源確保と経済成長のため判断した」…。

は?もう一度、と言いたくなる。これは、9月県議会での日本共産党の追及に対する森田知事答弁。諸事こうだ。そらし、逃げる。水産県の長として国に「放射能汚染水を海に流すな」とすら言えない。これで、風評被害と闘う漁師、竜巻や台風で住まいを失った県民に、顔向けできるのか。

議会の退廃は、知事と対決する党が他に無いことも一因だ。自、民、公、みんな各党は知事議案に全て賛成。消費税増税中止を求める意見書や、生活保護改悪反対を訴える県民からの請願にはそろって反対。県民には負担を強いておきながら、自粛していた県議の海外視察を解禁した。税金での海外視察に反対したのは共産党だけだった。

前回「はだしのゲン」を例に、執念深いほどの戦争責任の追及、そうする側の責任等を書いた。両者の責任は当然、違う。しかし例えばドイツでは「国民は何も知らなかった」とする風潮を乗り越える運動が起きているという。自戒を込め思い出すのは、反戦的叙情詩で有名な茨木のり子の一節。「駄目なことの一切を時代のせいにはするな」。